十時半に決められた門限を
越えてしまった時には
玄関に仁王立ちになっている
父の姿が遠くから見えて、
その恐ろしかったこと・・・。
いっそ夜に友だちと遊びたい時には
お泊まり会をするのだけれど、
子どもがお世話になります、と
親同士がお土産を持たせたり
お礼の電話を入れあったり。
アメリカに憧れて
「留学したい」と言ってみた時に
父は最初
「そんなバカな」、と鼻から
相手にもしてくれず
お願いする度に鬼のような顔で
ダメの一点張り。
数ヶ月、顔を会わせる度に
そんな言い合いが続いて
最後には
根負けしてくれた父。
知り合いの家ならば、と
大学一年生の夏に
3か月間だけ
出してくれました。
向こうでは週末は
ホストの家。
学校に通うために普段は
近くの女子寮に入って市バス通学。
言葉が分からず
泣いたけれど、
見聞きするすべてが
キラキラで
寮や学校で出来た友だちが優しくて
居心地がすごくよくて、
そして必死に英語を
勉強をして、
一生涯
忘れられない夏になりました。
そんな昭和の時代に
学生だった頃の自分。
平成を経て令和の時代になった
今の学生さんたち。
親の子に対する接し方、考え方が
変わってきたのは、
時代が変わってきたから
なのでしょうか。
海外に行きたい。
行ってやりたいことがある。
それを
サポートする団体があることを、
今ではインターネットで
知ることもできる世の中。
公益法人YFU日本国際交流財団は
内閣府を所管行政庁とする団体。
手厚いサポートがありますが
行ける定員もあるので、
海外で学びたい高校生が果敢に
試験にチャレンジをします。
自己推薦書の提出、
英語のテスト、
常識問題のテスト、
英会話面接、
親子面接等々、
厳しい試験の山に挑む
学生さんの姿を見ると、
やみくもにただ
行きたかっただけの自分との
違いを感じます。
そして、親の
サポートの仕方も。
1984年。
ロサンゼルスオリンピックの夏。
名古屋空港に
向かう途中
「飛行機の時間まで余裕があるから」と
春日井SEIBUのレコード店に寄って
父が買ってくれた
カセットテープは
発売されたばかりの
山下達郎の『BIG WAVE』。
それが
最大のサポート。
今からおもえば
心に響く
偉大な
サポートをしてもらってたんだな、と
ただただ
有りがたく思います。
ボランティアはその
ご恩返しでしているのかも、です。