天災と人災

朝のカーラジオから流れてきた
レミオロメンで気がついた

【3月9日】

震災から12年が経つんだなと
思いました。

3月9日は自分にとって
震災の3日前。

12年前。

前日8日に大学の合格発表があって、
先生に報告をしに行った息子が

「明日にでもアパートを
さがしに行けって、先生が!」

誰もスマホなど持っておらず、
新幹線にも乗り慣れないのに、

とりあえず受験のために調べた道で
学校近くに行ってみようと、

わけわからず次の9日の朝に
息子と横浜に向かいました。

駅前の不動産屋に行き、
一軒目の物件でアパートを決めました。

都会のキラキラと、
街の人たちのキラキラに動揺しながら、

素敵な街に
嬉しく思った帰り道。

新幹線の中で
【3月9日】という曲があると

イヤホンで初めて
聞かせてもらって、

この3月9日は
思い出に残るなぁと

寂しさを感じながら
新幹線に揺られました。

そして3日後の大震災。

横浜駅の前には剥がれた大きな壁が
落ちているのをニュースで見ました。

巻き込まれている人も
いました。

「◯◯だったら」
「◯◯していれば」

震災に遭遇した多くの人たちの
タレラバが

自分たちにはたまたま
別の方の運に向いた事を感じました。

水道局にも電話が繋がらず
東電にも電話が繋がらず、

とにかく根気よく
電話を鳴らし続けて下さい、と言われ、

再び訪れた横浜の
深く潜った地下鉄も

エスカレーターは動かず
道の電気も薄暗く、

計画停電で夜には
電気が落ち、

キラキラしていた街のイメージは
すっかり消えていました。

先日、NHKで
東南海地震のドラマをやっていて、

30年以内には起こると予測されている
天災の恐ろしさを感じながら、

そして、天災ではなく、
人災である戦争が

まだ続いていることを、
去年は

想像せずにいた
自分がいたことを思いました。

今年も春の花を飾りながら、
遠くで起こっていることを

忘れないようにしようと
思いました。