日常は流れる

朝一番から
お施餓鬼に出掛けました。

お寺さんでのひととき。
この落ち着く感じは、何でしょう・・・

お盆のお施餓鬼。密にならないよう
中止をするところもあれば

人数を制限していつも通りの
お施餓鬼をするお寺さんもあります。

シーーンとした境内。
すべてが清められていて

それだけで
おもてなしを受けている気持ちに
なっていきます。

いつも棚経に来てくださる
「若さま」と呼んでいる
若いおっさまが

向こうでお話しているのが
聞こえてきました。

「瀬戸の街ではまだ
日常が流れていますね。」、と。

そうか。。
日常は流れているんだ。

非日常って
いつも通り流れないから

いつもの日常じゃ
なくなってるんだ・・・。

特別な日常が
非日常ではなくて

ただ流れない
いつもの日常が、非日常。

そう考えると、自分自身も
毎日淡々と同じ繰り返しで
いつもの日常をしているつもりでも

やっぱりコロナ禍によって
非日常を過ごしているのだと
頭で理解します。

東京のブランドさんからも
連絡が来ます。

緊急事態宣言が出てしまい
いつもの日常でなくなっている
場所から

メール一本のやりとりでも
お元気そうだと伝わります。

案じあいながら過ごす日々は
いつまで続くのかな。