今日は二人の同級生と電話で話しました。
一人の子とは、リングの
石合わせの修理についての相談でした。
落としてしまった
カボションのルビー。
その石は
形や高さが かなり特殊でした。
ぽっかり空いたその部分に
新しい宝石を入れるお仕事。
彼女の話ぶりから、
どんな宝石をいれても
楽しく着けそうです✨
その形にリ・カットすれば
対応の幅が大きいのですが、
【宝石の種類をこだわらずに】
その形の石を探す事で
お金をかけずに直す方法に決めました。
「ありがとう、それでよろしく!」
、と言って電話が切れました。
もう一人の同級生。
「ちょっと教えて」、と
電話がありました。
遠縁へのお祝儀の相場がわからない、
という相談。
う〜ん・・・と
自分の人間関係に当てはめて
答えたけれど、
それが彼女に当てはまるか わからなくて
「自分ならこうする」、と答えました。
「もう一度考えてみる」と彼女は言いました。
〈宝石の事〉なら
「これをこうすると良い」。
そうはっきり言うことができます。
答が有って楽✨
でも、そうでない
〈答えが有って無いような事〉は
「自分ならこうする」。
そう言う答え方しかできないんだなぁと
思いました。
わからないことや困ったことがあった時
親が近くにいたときには親に。
学校にいた頃なら先生に。
昔は
そうやって答えてくれる人が
周りにたくさんいたのに
この歳になると だんだんと、
『教えを乞えたらいいのに』、と思いながら
これはどうしたらいいんだろう、と
一人でぐるぐる考える事も
増えてきた気がします。
せめて
明るい方へ答を持っていける様に
『太陽の陽の下で物事を考えよう』
そう教えてもらったことを実践したい
と思いました☀
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