NO IMAGE

大須と栄

NO IMAGE
今日は母校での委員会の後に
大須に出て会食をしました。
食事会を取りまとめて下さった先輩には
小さな頃から親類の多くいる大須の街で
過ごした思い出がたくさんありました。
大須の街を歩くと古い建物が多くて、
それを上手にアレンジして
若者たちが店舗を今風に利用しているのが
とても魅力的に思えました。
帰り道。
100m道路を挟んで
〈古い雰囲気・南側の大須〉と
〈新しい雰囲気・北側の栄〉が
こんなに近いのに、〈全く雰囲気が違う〉ことの
訳を聞くことが出来ました。
【大須観音があったから 】
空襲に遇わなかったのだ、と。
母校のある地区も空襲が無く、
古い建物が残ったのも
【名古屋城が近かったから】だ、と。
その他にも、お寺が多い場所には
爆弾が落とされなかったそうです。
空から見て判断したのかな、とか
話になったりしました。
自分も親が戦中生まれなので
何となく感覚が伝わりますが
息子たちの様に
一つ世代が若かったりすれば
戦争が本当に全く
身の周りには無い話過ぎて
教科書の中で学ぶこと みたいに
自分自身とは縁遠い話に聞こえるんだろうな、と
思って聞いていました。

お父様が九州ちらんで特攻隊の
飛行機整備をしていて
終戦を迎えた、という先輩の話。
そしてその話が聞けたのは、数年前に
特攻隊の映画を観たいと言ったことが
きっかけだったとか。
それまでは戦争の話なんて
全然口にしなかったのに、と。
私も昔、父に戦争の話をしてほしいと
言ったことがあったけれど
あまり話してはくれなくて。
それでも「もっともっと」と
聞いておけば良かったと
今さら後悔をしている身近な戦争体験。
言いたくなかったんだな、父は。
お商売をしていると 毎日いつも
超現実で。
話の中にある戦争は
非現実で。
非現実が超現実になるなんて
思わずに過ごす毎日。
何十年も前に生きていた人たちも
きっと今の自分と同じ。
同じだと思うと
戦争になって本当に
怖かっただろうな。
当たり前の平和が
ずっと当たり前であって下さい。
そんなことを思いながら
帰途につきました。
日本堂インスタグラム